【グレーゾーンが疑わしい】わたしが生きている意味はあるの?

こんにちは、ココリネです。

このページにたどり着いたあなたは「生きにくい」で検索して来てくださったのでしょうか。

この「生きにくいアナタとワタシへ」というカテゴリーで発達に関する、わたしのグレーな部分(軽度かもしれない)について書いていきます。

いい大人になってもいまだに生きづらい、そんなわたしを分析してみたくなったのです。

わたしは現在進行形で思い悩んでいるので、あなたの心の整理のきっかけのカケラ(それも、めっちゃ小さい)くらいになったらいいかなぁ、と思っております。

まずは、わたしのことをお話しましょう。

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子どもの頃からコミュニケーションが苦手だった

幼稚園時代からおとなしい子でした。

先生(大人)や気の強い子に話しかけるのが苦手で、何か嫌なことを言われても言い返すこともありませんでした。

言い返し方がわからないので、嫌だなあと思いつつ押し黙ってやり過ごしました。

とても親しい子と話す以外は、人に話しかけるということが死ぬほど苦痛というほどでもないのですが、「よし話しかけよう、話しかけるぞ」という気合(?)のようなものが必要でした。

何か困ったことがあっても「どうしたの?」と言われるまで、うまく伝えることができませんでした。

そのため行動がトロかったのかもしれません。

小学校低学年の頃に「連絡帳」があったんですよね。何年かは忘れました。

先生から保護者に向けてのやり取りのノートです。

それがチラッと見えたときがあって「何をするにもワンテンポ遅れ」先生の字でそう書いてありました。

社交的な母親のおかげで幼稚園時代には友達がいた

それでも親しい友だちは何人かできました。わりと多かったと思います。

わたしの母は井戸端会議ばかりしていた記憶があります。

とにかく輪になってよく他のママさんと話していました。

母のママ友つながりで、その子らと遊ぶ機会が増えて仲良しになったりしました。

これが幼稚園時代の大事な財産となり、小学校にあがってもこの交友関係のおかげで孤立することはありませんでした。

2クラスしかありませんでしたし、クラス替えしても友だちが一人もいないということはなかったです。

毎日わいわいして、キラキラと輝いていた時期でした。

(相変わらず言い返せないし、気の強い子は苦手でしたけど)

これから自分が人間関係でつまづくなんて夢にも思っていませんでした。

中学校にあがり、世界が広がると同時にうまくコミュニケーションが取れなくなる

中学に入れば知らない子との関わりが増えます。

中1のクラスは、小学校時代の知り合いが3人しかいませんでした(特に仲良しでもないけど悪くもない子たちのみ)

わたしはすごくショックでした。なに、この取り残された感じ。

気がつけば周りの子は他愛のない話に花を咲かせていました。

あの子らは小学校の友だち同士なのかな?

わたしと同じ小学校の子は、他のクラスで新しい友だちができたのだろうか。

どうしよう。何を話せばいいのかわからない。

思い切って「おはよう」といったものの、「おはよう」が返ってきて、それっきり。

小学校のときは、幼稚園時代の友だちばかりだった。

ほとんど新顔ばかりのスタートを、どうしていいのかわかりません。

だれか、だれか、何を話したらいいのか教えてよ。

話しかけても、あの「おはよう」のように、すぐ終わっちゃうのではないだろうか。

変な子だと思われたらどうしよう。

どうしよう、どうしよう。友だちがいない子だと思われたらどうしよう。

こんな感じで過ごしていたら、当然のごとく孤立しました。

うまく溶け込むことができませんでした。

今でもどう振るまえば良かったのか分からない

ここまで読んで、そのときのわたしにまったく共感できない方のほうが多いと思うのですよ。

だってクラスで一人ぼっちになったこと、あります?

ある人よりも、ない人のほうが多いですよね。

普通の人(コミュニケーションが苦ではない人をそう呼ばせてもらいます)は、「友だちいないんですぅ~、人見知りなんですぅ~」なんて言いつつ、本当はいるもんなんですよ。

ここで言う「友だちがいない」というのはまったくいないという意味ではありません。少ないという意味です。ガチで0人だなんてまずいません。

「何を話したらいいのか分からない? そんなもん何でもいいんだよ!」

このような悩みが皆無な人はそう言いますよね。

でもね、わたしが話すとなんだか変な感じになるんです。

間が変というか。うまく言えないのですが。

私の話し方・態度のどこかしらに、キョドキョドしている何かがあるのかもしれません。

あと目を合わせるのが苦手だと後々気づくのですが、その頃から合っていなかったのかも(自覚はナシ)

コミュニケーションが苦手な人は「あー、わかるわー」と思うでしょう。

そして敏感に同類のにおいを感じとります。

だから普通の人は、きっとわたしのような振るまいに不自然さを覚えます。

なんだか不自然・違和感がある。何を考えているのか分からない変わったひと。

そう認定されるのにさほど時間はかかりません。

普通の人は「異物」を感じ取るのに敏感です。そして無自覚ながらもちょっとずつ距離を取ります。

「話はするけど、友だちという距離までは近づかないよ」というスタンスです。

しかし小学校時代、母のママ友つながりで得た友だち以外にも友だちがいたはずです。

どうして中学校では新規に友だちができなかったのでしょう。

ほぼ新顔という状態からのスタートという経験にビビってしまったのでしょうか。

とにかくわたしは、人への話しかけ方がさっぱり分からなかったのです。

中一の夏に親の転勤で引っ越し後、いじめにあう

引越しのタイミングは本当に偶然で、学校生活がうまくいってなかったのとは関係がありません。ですが、わたしは心底ホッとしました。

しかし、引越し先でもうまく話せずに「暗い」と言われて一人になりました。

小学校の頃は普通に人と話せたのに、どうしてだろうかと途方に暮れました。

その後、いじめにあうのですが…正直記憶がほとんどないです。正確には脳が思い出すのを拒否します。

高校でもポツンでしたが、あからさまないじめはなかったです。

就職・受験がせまっているので、みな忙しかったのでしょう。

中学・高校時代に戻ってやり直したいですか?

中学・高校がいちばんキツかったです。

社会人になってからもコミュニケーションがヘタクソで苦労しましたが、周りからのフォローがありました。

学校と違って、新人のわたしよりも年上の方がたくさんいたからでしょう。

未熟なわたしを「仕方がないなぁ」と心広く見守ってくれたのだと思います。

もう1回、中学からやりなおせ。

そう言われたら迷いますね。

今度こそちゃんとコミュニケーションとれる? 友だち作れる?

まあ、あのときよりはマシでしょう。学生生活より社会人生活のほうが長くなりましたので。

いや、実際にそうなったら、やっぱり自分は何も変わっていなくて同じになるのだろうか。

ときどき、こんなことを考えてしまいます。

そう考えるのは、やり直したいからなのかな。マシな自分になりたいのかな。

自分に対して申し訳ないってのもあるのかな。

だって青春時代、まっくらなんですもの。

「昔の仲間と集まって飲む」とか「青春時代っていいね」とか「高校の頃の恋愛話」とか無縁なんですもの。

もしも「来世」ってものがあるのなら、苦労はしても人間関係で死にたくならないような人生を送りたいな。

なんだか遺書みたいになりましたが生きてますよー

こんなことがあったのに生きてる自分すごい。めっちゃえらい。

ときどき過去を思い出して苦しくなっても、

「でも生きてるじゃん。すごいって自分」

そうやって自分をほめて、認める。

今は、多少でも自分を好きになっていくことをやっています。

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